藤井寛子の夫や現在は?福原愛の天敵?オリンピックに出れなかった理由は?【消えた天才】
こんにちは!
2019年6月30日放送の『消えた天才』で『卓球界のレジェンド福原愛が最も恐れた天才』として藤井寛子さんが出演します。
卓球界の王者である、あの福原愛さんが試合で何度も敗れ、全く勝つことのできなかった天才選手として藤井寛子さんが紹介されていました。
しかしそんな藤井寛子さんですが、なぜかオリンピックには一度も出場することができなかったそうです。
そこで今回は、その藤井寛子さんがオリンピックに出場できなかった理由や、藤井寛子さんの夫などの家族、現在などを紹介してきたいと思います。
『消えた天才藤井寛子』放送内容
卓球・福原愛が試合で何度も敗れ「天敵」と語る天才選手がいた。 天才は日本人離れしたパワーを武器に圧倒的な強さを誇ったが… なぜか1度もオリンピックに出場できず引退!果たしてそのワケとは? さらに、福原のオリンピックでの活躍の裏には、天才との知られざる絆の物語が!
「あの福原愛さんが何度も敗れた」、「日本人離れしたパワーを持っていた」、「しかしオリンピックには一度も出場することができなかった」とのことから福原愛さんの天敵は藤井寛子さんであることが分かります。
実は藤井寛子さんは、
・2007年の卓球日本一を決める全日本選手権で福原愛さんを6回戦で倒している
・世界ランキング13位の福原愛さんを倒す
・強烈なドライブを駆使し、2006年の萩村杯でも福原愛さんを倒す
・「藤井さんへの苦手意識が消えなたった」と福原愛さんが語る
という驚きの事実があります。
しかし、過去の戦績を見ると一度もオリンピックには出場していないことが分かります。
- 1999年 全日本卓球選手権 女子ジュニア(シングルス)優勝
- 2004年 平成15年度全日本卓球選手権 女子シングルスの部 準優勝
- 2005年 ジャパントップ12卓球大会・女子シングルス 優勝
- 2005年 全日本学生卓球選手権 女子シングルス 優勝
- 2007年 平成18年度全日本卓球選手権 女子シングルスの部 準優勝
- 2007年 平成18年度全日本卓球選手権 女子ダブルスの部 優勝(ペア・金沢咲希選手)
- 2008年 世界選手権広州大会 団体戦3位
- 2010年 平成21年度全日本卓球選手権 女子ダブルスの部 優勝(ペア・若宮三紗子選手)
- 2011年 平成22年度全日本卓球選手権 女子シングルスの部 準優勝
- 2011年 平成22年度全日本卓球選手権 女子ダブルスの部 優勝(ペア・若宮三紗子選手)
- 2011年 荻村杯国際卓球選手権大会 女子ダブルスの部 優勝(ペア・若宮三紗子選手)
- 2012年 平成23年度全日本卓球選手権 女子ダブルスの部 優勝(ペア・若宮三紗子選手)
- 2012年 荻村杯国際卓球選手権大会 女子ダブルスの部 優勝(ペア・若宮三紗子選手)
- 2013年 平成24年度全日本卓球選手権 女子ダブルスの部 優勝(ペア・若宮三紗子選手)
引用:Wikipedia
では一体なぜこんなにも素晴らしい戦績を残している藤井寛子さんがオリンピックに一度も出場することができなかったのでしょうか?
藤井寛子がオリンピックに出れなかった理由は?
藤井寛子さんは先ほど紹介した戦績を持つ素晴らしい選手です。また福原愛さんも天敵と言うほどからり強力な選手であったに違いありません。
では一体なぜそんな藤井寛子さんがオリンピックに出ることができなかったのでしょうか?
2012年のロンドンオリンピックには福原愛さん、平野早矢香さん、石川桂純さんが参加されました。
結果は団体でメダルを獲得し、日本は大盛り上がりしました。シングルスは、石川桂純さんが4位、福原愛さんが準々決勝で敗退でした。
実はその当時、藤井寛子さんはダブルスでは日本一でした。
しかし、2008年の北京オリンピックからダブルスの種目がなくなり、団体戦になってしまいました。
もしかすると、ダブルスの種目がそのまま残っていれば、藤井寛子さんはオリンピックに出場することができたのではないでしょうか?
また、藤井寛子さんは福原愛さん相手には相性がよく、試合に勝つことはできたものの、ほかの強力な選手には苦戦したとも考えられます。
オリンピックへは不運が重なり出ることが出来なかったと考えられますね。
藤井寛子のプロフィール
・本名:藤井寛子(ふじいひろこ)
・現姓名:下川寛子
・生年月日:1982年10月18日
・学歴:四天王寺中学校・高等学校→淑徳大学
藤川寛子さんですが、淑徳大学卒業後は日本生命へ入社しています。
またそんな藤井寛子さんですが、現在結婚しています。
お相手は、元バトミントン選手の下川祐一さんです。
とてもイケメンですよね!
これからも幸せに過ごして欲しいです。
藤井寛子の現在は?
藤井寛子さんですが、現在は卓球指導者となり、2014年の世界ジュニア選手権では日本ジュニア女子代表のサポートコーチとして活躍しました。
選手を引退しても、指導者として卓球と関わっているのですね!
また2015年度からは日本卓球協会アスリート委員会副委員長を務めています。
オリンピックには出ることが出来なかったものの、卓球と関わり続けていることから卓球への愛を感じますね。
まとめ
藤井寛子さんはオリンピックには出ることが出来ませんでしたが、国内では素晴らしい戦績をたくさん残しており、すごい実力を持つ選手でした。
今後は指導者として、その技術を語り継ぎ、後世へとつないでいって欲しいですね!
他にも消えた天才として巨人ドラフト1位を蹴った小林秀一さんについて書いている記事があるので是非見てみて下さい。